・北九州市小倉で生まれ育つ
・囲碁は小学校6年で無理やり覚えさせられたのであまり好きではなかった。
・父は昭和24年に「小倉支部」を設立し、その後、昭和37年に北九州囲碁センターも設立した
・そこで講座生徒さんと競い合い囲碁の面白さを知った
・高校を卒業前に父から大学行くか社会勉強するか迫られ、家から離れたかったので社会勉強を選び、木谷道場へ行く
・その当時、木谷道場は石田芳夫先生を筆頭にそうそうたる天才棋士の宝庫だった
父は囲碁を強くなって欲しいと願い送ったのだが木谷道場はお客様のお世話やお弟子さんの食事の用意や家事で忙して中々打つ時間もなかった。
しかし木谷先生とも碁を打っていただき、お母様(美晴夫人)に料理を教えてもらい、木谷さんやご家族の方々にも可愛がっていただき1年9カ月の激動の日々は一生の宝物となった
・その後小倉に戻り北九州囲碁センターを手伝い、「朝日カルチャー教室」、「毎日文化教室」、など囲碁を教えに行く仕事が主になる
・結婚、出産後、平成13年に「ヒカルの碁」で子どもたちの囲碁ブームが押し寄せ、囲碁普及が使命と考え「北九Jr.IGO事務局」を有志と立ち上げ囲碁のイベントを企画運営する
・主なイベントは「TOTOカップジュニア国際大会」、「北九州シニア囲碁大会」、各新聞社の棋戦のプレイベント、 「全国女流アマ囲碁選手権戦」、「北九州市民囲碁祭り団体戦」、「松竹梅大会」、「全九州ペアー碁オープン戦」、「全国女流アマ都市対抗戦」、など企画運営し現在に至る